綴り帖
日記主体のブログとは別に、まとまった、時にはまとまっていない考えや思う事を書きます。
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自信
自信なんて、いらないのかもしれない。

自信は、ややもすれば慢心に繋がる。
自分が正しい、と心から信じてしまうと、自分を疑う事を忘れ異なる他を受け入れる事を忘れてしまう。

不安である事。
自分が正しいか、不安であること。
自分の能力に不安を持つ事。
自信を持つ事以上に大切である気がする。

例えば、95%の確率で患者を救える医者がいるとする。
そこで、「自分はほぼ100%の確率で患者を救える」と思うか、
「自分はまだ5%の確率で患者を救えない」と思うか。

大切なのは、不安の質。

自分の例では、自分がバスケのシュート練習をする理由。
昔は、シュートが届くか不安だったから。
それが、成功確率に不安があるから、と変化し、
ジャンプの高さに不安があるから、
リリースの早さに不安があるから、
試合の中で確率が変わる不安があるから、
と変わっていった。

不安である事に変わりはない。
けれど、その質は異なる。
不安は、自信以上に自分をステップアップさせた。

もちろん、その不安を隠し、自信があるフリをする事も大切。
試合の中でシュートを打つ時は、不安を自分の横にどける。
医者が現場で不安である事を呈したら、それはプロフェッショナルではない。

所詮、自信なんて自分に対する自分の評価。

自分を疑い、不安を認め、それを克服するために精進する。
必要な時には、それを自分の外に置く事ができる。

これが理想かな、と思う。




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この記事に対するコメント

だいぶ前のエントリだけどコメント。

ここしばらくシュートスランプでした。
ためらったシュートは決してはいらず、その結果次のシュートを打つときにためらうという不安のスパイラル。
「自信」をもってシュートを撃とうと余計なことを考えるとまたも悪循環。

んで最近最悪な状態を脱しました。
シンプルに「入れる」という意志。
これが自分には良いみたい。

不安でも自信でもなく、意志。

まぁそういう感覚はひとそれぞれだと思うけど、
うまく前進のためのエネルギーにしたいよね。
【2007/12/12 23:13】 URL | よこやま #- [ 編集]


おうおう、ずいぶん古いのにコメントしてくれたね。
気づかんかったよ。
究極の境地は、某漫画のマルさんのように「無」なんだろうが。
無になろうとしたときには既に捉われているよな。

こういうバスケ話を、あのミニストップでまたしたいもんですな。
【2007/12/26 14:51】 URL | yukke #- [ 編集]


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